願かけ絵馬の考現学
~第八十五講~

願かけ絵馬の考現学

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たくさんたくさん見て
うけとめて たくわえて まと
めて、たくさんの人をハ
ッピーにできる作品が
とめどなくあふれ
おぼれますように(ハートマーク)

くらつくりのとり 
[奈良県明日香村 飛鳥坐神社]

「くらつくりのとり」というのは、飛鳥時代に朝鮮半島からやって来たとされる仏師、つまり仏像彫刻作家の鞍作鳥(または止利)のことであろう。
止利仏師、などという言い方も習った記憶がある。
この鞍作鳥は、有名な法隆寺の金堂のご本尊・釈迦三尊像が代表作で、この飛鳥坐神社近くにある飛鳥寺のご本尊、釈迦如来坐像(飛鳥大仏)もこの人の作とされているそうである。
つまり、この願主は美術、それもどうやら彫刻を学ぶ学生のようである。

奈良の明日香村にやってきて、多くの仏像その他の古代美術を見て回り、それを自分の創作活動の肥やしにしようという、見上げた心がけと行動である。
古代の名人の名前を借りる、その意気や良しだ。
「たくさんたくさん」とは、いったいどれほどの数の作品を鑑賞したのか、非常に興味深いところでもある。
見て、受け止めて、たくわえて、まとめるだけでは、「くらつくりのとり」君のオリジナルの創作はどこにあるのか、などとヤボなことは言うまい。

しかし、この願文を読んだ万人が思うように、自分が次々と創作する作品に「おぼれる」というのは、あまりに常軌を逸した話であろう。
とり君の専攻が実際、彫刻であったとしたら、そんなものに「おぼれ」たら痛くて仕方ないではないか。
たぶん良い作品のアイデアがとめどなく溢れ出てほしい、というところから、「溢れ」という言葉の本来の意味に引きづられて「おぼれる」という発想に至ったのであろうが。
いくら彫刻だか何だか美術が専門だとしても、もう少し言葉の感性というものを磨くというか、普通に近づけたほうがいいように思う。

このくらつくりのとり君、どうも女性のように思えるが、どうであろう。

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