願かけ絵馬の考現学
~第八十三講~

願かけ絵馬の考現学

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[開運 厄除 守護]

新見家・加藤家・浅間家、
及び血縁・先祖への多くの
加護に対してありがと
うございます。それらの
願いをとり下げさせて
頂きます。本来ならば、
一人一人がご報告をし、お礼を
しなければならぬところ、すでに
故人となりし者も
あり、私一人でがまんして
くださいませ。もうしわけありません。

(無署名) 
[京都市 新日吉神宮]

余談だが、「新日吉」は、「しんひよし」ではなく、「いまひえ」と読む。
京都女子大学やその系列の女子高校、女子中学が集まる京都東山の一角、通称「女坂(おんなざか)」と呼ばれる急な坂道の南側にある古刹である。
女坂には、京女(きょうじょ=京都女子大学やその系列校の略称)の女性たちが利用する「プリンセスライン」なる、市バスの路線も走っているが、これも本論とは関係ない。
また、そんなバスが走っているくらいだから、それほど閑静なところではないが、新日吉神宮は時代劇のロケ地としても使われることの多い神社だそうである。
で、これもやっぱり本論とは関係ない訳だ。

こうして本論に入るのを嫌がっているのは、やはりこの願文の一種の不気味さゆえである。参考までに、字詰め改行は原文通りだ。で、その内容であるが…。
神様にお願いをして、その願いが叶いましたと、報告とお礼の絵馬を奉納する例は多い。
筆者のようなヒネクレ者でも、そういう絵馬を手に取ると「なるほど良かったですね」と、嬉しい気持ちになる。

が、この願主は、願いを取り下げるという。
ということは、願いを書いた絵馬を奉納した時とは状況が変わり、もうお願いする必要がなくなったのであろうか。
しかし、願文に「お礼をしなければならぬところ」とあるのを見ると、やはり何らかの霊験やご加護があったのであろう。
実際、願主も「多くのご加護をありがとう」という意味のことを書いている。

だが、その願いを取り下げるという。
この願主は、願いが一部叶ったのでもう結構、あとは自分たちで何とかしますから、などという恩知らずなことを言う御仁でもないだろう、この願文全体から判断すれば。
訳が判らない。

この人の、あるいはこの新見家、加藤家、浅間家の人たちの願いとはどんなものだったのか。
願主と、新見家、加藤家、浅間家の人たちの関係、あるいはその「血縁・先祖」との関係とは、いかなるものなのか。
激しい関心と、しかし、あまり関わりたくない気持ちが湧くのである。

もちろんそれは、いったんお願いをしておきながら、それを取り下げるというような願いとはどんな願いか?という疑問ではなく、そもそもこういうことを書く人の願いとはどんなものか?という、本質的、かつ根源的な疑問である。
いや、もっと正直に言えば、この人って、いったいどういう…、という疑問と恐れである。

「すでに故人と」なった人もいるということは、書きぶりからみて、急逝したという訳でもなく、それ相当の年月が経過したという状況なのだろう。
そういう長期間にわたって、願いの一件を忘れることなく、自分一人でもこうしてお礼と報告にやってくる。
その心境、心情とは、どのようなものなのか。

「私一人でがまんしてくださいませ」

という部分に、多少のユーモラスな印象があるからまだ救われる気はするのであるが…。願主は女の人であろうか。

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紛らわしいが、大きいのが
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