願かけ絵馬の考現学
~第三十三講~

願かけ絵馬の考現学

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私どもの我がままな
行動をお許し下さい。

人の道としてこれから
しっかりと歩んで行きたい
と思います。

無事二人で乗り
越えられますように。

一緒に人生を歩いて
いけますように!

慎吾・良子 
[宮島町 厳島神社]

これはもう、あれである。
あれとはつまり、このお二人の間柄は、不倫としか解釈のしようがないということである。
もちろん、人の道に反したことをしたとは書いていないし、若干、理解に苦しむ文でもある。

しかし、わがままな行動だったと反省している様子が見える上、人の道というような言葉を持ち出すこと自体、何か後ろ暗いと言うか、引け目を感じるようなことをしたという自覚のなせる業であろう。
本講座は道徳講座ではないので、お二人を非難するようなことはしないが、せっかくそうまでしたのであるから、仰る通り、末永く仲良くやって行ってもらいたいものである。

だがしかし、ここは安芸の宮島、厳島神社である。
広島方面、正確に言うと本土の廿日市市からは、わざわざ船で渡って来なければならない場所だ。
歌舞伎や浄瑠璃のほうで言うところの道行き(あれは心中する意味もあるから、少し違うか)、許されない仲の男女ふたりが駆け落ちして行く途中なのだから、わざわざ船に乗って宮島に寄り道するというのもどうかと思うのだが…。
厳島神社のご祭神は「宗像三女神」とかで特段、恋愛関係を得意とするということ、つまり、その方面のご利益が大であるということもないはずだし。
お二人の行動には、願文の雰囲気とは微妙にズレた、余裕のようなものが窺えてしまうのだが…。

お二人が宮島の人なら、わざわざ寄り道したことにはならないが、あの小さな島から駆け落ちするのに、人目につく厳島神社に詣でて行くというのも不自然である。
駆け落ち → 心中というコースの場合、観光地に行くことが多いそうだが、この二人の場合、しっかり歩んでいくというのだから、心中の心配もないだろう。

まあ、やっと二人になれた嬉しさを、束の間楽しんでいるという訳である。
お幸せに、と言う他ない。
いや、待てよ。残された家族、妻か夫か、子供たちか、それらの人々はどうなるのかと、また余計な心配をしてしまうのは、筆者の年齢のせいか。

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