願かけ絵馬の考現学
~第三十ニ講~

願かけ絵馬の考現学

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勉強を続ける

意思を持ち

続けれます

 ように。

春山浩二 
[防府市 防府天満宮]

今さらここで「ら」抜き言葉をあげつらう気はない。
「続けれる」とまでやられると、何だか背筋が寒くなるような感じもするが。
「続ける」意思を、持ち「続ける」という言い方にも、少々違和感を覚えないでもない。

しかし、それよりも今回は、浩二クンのものの考え方や人生観といったものに苦言を呈したいと思うのである。生意気にも。

浩二クンの最終的な願いは、成績向上とか、どこかの学校の受験合格とかいったものであろう。
そのために勉強しているが、自分の意思が弱くて、なかなか継続して勉強に取り組めないと、そういう悩みを持っている訳である。
ここのところを何とかしていただきたいと、天満宮の菅原クンにお願いするのであろう。

「意思」という言葉に注目すると、なるほど安易な合格祈願より勉強すること自体を問題にする真面目な人物であるという印象も、なくはない。
しかし、それは責任転嫁というものではないのか。

――自分は本来、能力のある人間だ。
勉強さえすれば、成績向上も受験合格も問題ない。
しかし、いろいろと勉強を妨げる誘惑も多くて、あまり意思が強くない自分は、そのため勉強に集中し続けることができない。
問題は、勉強を持続できない自分の意思だけさ。

とまあ、そういう考え方が、この願文からは読み取れるのである。
なるほど、問題は意思だろう。
しかし、それは自分の問題である。

合格祈願なら、競争相手もいることだから、神頼みする気持ちもわからないではない。
自分の力や努力だけでは、どうにもならない部分というのはある訳だから。
しかし自分の意思というのは、当たり前だが、自分でどうにかすべき問題だし、自分にしか解決できない問題である。
それを神様に頼んではいけない。
次の千鶴クンの心意気を見習ってほしいものである。

全力を尽くします。

見守ってください。

岩国市 
杉本千鶴 
[防府市 防府天満宮]

ま、ここまで毅然たる姿勢だと、アンタいったいワシにどうしろと?と、神様も戸惑ってしまうだろうが。
ともかく、浩二クンにはおおいに反省し、改心してもらいたいと願う次第である。

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