願かけ絵馬の考現学
〜第二十七講〜








 
今日一日、お酒を
飲みませんように。

(二〇〇二・六・十八)
吉村 崇(39才) 
[大阪市 一心寺
  かの聖徳太子の創建とされ、関西では有名な四天王寺の近くに、これはまあ、大阪近辺では多少有名な一心寺というお寺がある。
前衛的なデザインの山門にコンクリート製か何かのモダンな仁王様がいたり、境内に「一心寺シアター」なるホールを開設・運営していたり、地元ラジオ局に番組を持っていたり、なかなか元気のいいお寺だ。
JR天王寺駅からも程近い土地柄か、ホームレスの面々の憩いの場ともなっているが、夕方になると境内のトイレや山門も閉めて施錠されるため、トイレに閉じ込められるオジサンがいたりもする。
その一心寺の境内に、大坂夏の陣で戦死した本田出雲守忠朝という徳川方の武将の墓がある。
で、この本田出雲なる御仁、生前やけに酒好きで、大坂夏の陣で不覚をとったのもそのせいかどうか、ともかく死ぬ間際になっていたく反省し、自分の墓に詣でた者は酒で失敗しないようにしてやると、のたもうたらしい。
本田クンも、最期に及んで人の世話を焼く気になるくらいなら、元気なうちに自分のことをしっかりとやっとけよ、なぞと言ってはミもフタもない。
ともかく彼の遺志が活かされ、本田出雲の墓には禁酒・断酒を願う人たちが、ご飯シャモジに願文を書いて奉納するようになったという。
何でご飯シャモジなのかは判らない、誠に相済まないが。
さて、前置きが長くなったが、これも奉納絵馬の一種ではあろう。
で、冒頭の奉納文である。
文字が滲んでいたので、「今月」などの間違いではないかと十分注意して読んだが、「今日一日」である。
これは相当な重症であると言わざるを得まい。
もちろん、こういう願掛けをするくらいだから、容易に酒がやめられないには違いないが、今日一日とは。
毎日毎日、いや、ひょっとすると生きている一瞬一瞬が酒との戦い、あるいは飲酒を渇望する自分との戦い、という状況らしい。
何と言うこともない平凡な短文のため、うかうかすると見過ごしかねないが、その意味をじっくり考えてみると結構おそろしいのである。
他の日はともかく今日一日だけはというのか、あるいは、ここまで辛抱したのだから、また今日も一日というのか、どちらにしてもその願いの切なさは尋常ではない。
筆者も元来嫌いなほうではない。
と言うより、中毒するまではその道を極めていないと思うが、同好の士であることは認めざるを得ない。
吉村さんには、おおいにご同情申し上げ、陰ながらその更正を応援したいと思う。
が、この吉村さん、奉納には午前中に来たのか、午後に来たのか。
朝、山門が開くと同時に駆け込んできたのか、夕方、断酒の苦しみに絶えつつ、ほとんど意識朦朧という状態でやって来たのか。
そのあたりの状況というものにも非常に興味を引かれ、考察はとどまるところを知らなくなるわけである。

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