願かけ絵馬の考現学
第二十二講〜








 
絶対に志望校に合格!
ラグビー継続!
努力は実れ!
山村 啓吾 
[山口市 多賀神社
  神様に対するお願いを書いて奉納するという、願かけ絵馬本来のあり方を忘れて、あるいは故意に無視して、好き勝手に書かれた絵馬というのは、結構多い。
これも、その一種ではあろう。
しかし、最後の一行はあんまりではないかと思うのだ。
志望校合格も、ラグビー継続も、まあご当人の意思表明であろう。
願かけ絵馬という形を借りて、目標を高らかに宣言し、自らを鼓舞するというのは、十分うなづけるやり方である。
だが、それならそれで、最後は、
「精一杯努力するぞ!」
とか、

全力投球!
とか書くのが、首尾一貫した、正しい姿勢というものである。
それを、努力は実れって…、そういう命令形はおかしいだろうが、啓吾クン。
たとえば、「時間よ止まれ」とか「扉よ開け」とかいう言い方なら判る。
この場合も、仮に「努力よ実れ」とすると、かなり違和感は軽減されるのだが、それにしても、やっぱり変である。
この違和感の原因は、いったい何であろうか。
時間にしても扉にしても、自分ではない他者だ。
それに命令するのは良い。
ところが、努力というのは自分の行為であって、その自分の行為に対して、命令するというのがおかしいのだろうか、とも考えたが、少し違う。
要するに、「努力が実る」という表現自体、あくまで結果論であって、それを促進したり、強制したりしようとする言い方が変なのだろうか。
何だか訳が判らなくなってきたので、考察は取り止めである。
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