願かけ絵馬の考現学
~第十九講~

願かけ絵馬の考現学

ホームへのリンクボタン 口上ページへのリンクボタン 読前の注意ページへのリンクボタン 目次ページへのリンクボタン
絵馬のアイコン写真なし

岡村明弘を一刻もはやく
左遷させてください。
どうか、よろしくお願いします。

朋子 
[京都市 安井金毘羅宮]

岡村明弘を一刻もはやく
左遷させてください。
どうか、よろしくお願いします。

佐紀絵 
[京都市 安井金毘羅宮]

いうところのデジャビュ、既視体験(錯覚)が起きたのかと思ってしまった訳である。
最初は、 ハハァ、岡村くん、嫌われているなと思って、とくに気にもとめなかったのだ。
ところが、次の絵馬を手に取り、その次を取りしていくつか見たら、また同じ文面があったのである。
一瞬、えっ?と思った。
次に、あ、デジャビュか、と考えたが、ちょっと感じが違うのだ。
願主の名前も違うようだし…。

そう思って、前に見たと思える絵馬をいくつかたどってみると…、あったのである。
筆跡と願主の名前は違うが、まったく同じ願文だ。
書かれた文字の美しさ、落ち着いた印象からすると、どちらの女性もそれほど若い人ではないようである。
ということは、ハゲだの油臭いだのといった理由で岡村くんを嫌うことはあっても、それで呪いじみた絵馬まで奉納するほど、子どもっぽくはなさそうだ。
とすれば、何かもっと真剣な理由があってのことだろう。
その理由が如何なるものかは不明である。

「左遷させてください。」と、左遷を英語で言う使役動詞的に使っている点には少しひっかかった。普通は「左遷してください。」だろう。 しかし、この場合、左遷するのは岡村クンの会社の上司あるいは人事権者であって、それを安井金毘羅宮の神様にお願いするのだから、厳密に言えばこのように使役動詞的に使うのが正しいのかも知れない。
そう考えると、かなりじっくり練られた願文とも解釈できるのである。

それはともかく、誰かひとりにこういう絵馬を奉納されてしまうのと、ふたり揃ってやられるのとでは、その重みが相当に違うということだけは断言できよう。
だいたい、こっちはただで楽しんでいる、というかガクジュツ研究をしているからアレだが、こんな絵馬でも奉納しようとすれば少なくとも数百円はかかるのである。
だから、まあそんなにケチな人でなくても、こういった場合はひとつの絵馬で、願主を連名にするのが一般的だ。

それを、ふたりがわざわざ別々の絵馬で、願掛けしている。
まったく同じ文面、文字詰め、行詰めも、名前の配置も同じだから、ふたりでいっしょに書いたか、たとえば朋子くんが先に書いて、それを佐紀絵くんがまるで写経のように、真剣に写したに違いない。
そのふたりの熱意たるや、まったく尋常ならざるものがある。
岡村くんは蛇蠍の如く嫌われている、と判断せざるを得ない。

そこまで嫌われているとは、ご本人、まるで気付いてはいないのだろう。
誰か、岡村くんにそれとなく注意してあげるような人物はいないのだろうか。
そして、この会社、いやこの職場の行末は大丈夫なのだろうか。
他人事ながら、おおいに気になる次第である。

第十八講 目 次 第二十講
紛らわしいが、大きいのが
各ページへのリンクボタン

ホームへのリンクボタン

「あんぐりドッキリがっくり」アニメ

口上ページへのリンクボタン

「考現学」アニメ

読前の注意ページへのリンクボタン

「あんぐり考現学」アニメ

目次ページへのリンクボタン

ホームへのリンクボタン 口上ページへのリンクボタン 読前の注意ページへのリンクボタン 目次ページへのリンクボタン

管理人への苦情・ご意見など、ご連絡は
連絡フォームから。

【リンクサイト】
別に何がどう、という訳ではないが…。

WSサービス
個人の文章作成を支援してくれるらしい。

日本語いちゃもん帳
偏屈オヤジが日本語の乱れを激しく糾弾している。