願かけ絵馬の考現学
〜第八講〜








 
この前の私の願いはずっと
かねてもらえるかどうか知らないのですが、
その時からいままでのことだけでも
とてもありがたいのです。
今回××さんに会えなくて、
本当にすみません。
手紙を書きます。
  (無署名)
[宮島町 厳島神社]
  絵馬に書かれた文字も文章の内容も、非常にたどたどしいのである。
「かねてもらえる」というのは「かなえてもらえる」というつもりが、書き違えたのだろうか。
ともかく、いかにも真剣な願文である。
それを、のぞき見てアレコレ詮索するというのだから、悪趣味も甚だしい。
自分でも、よく承知しているのである。
しかし、こういう願文にこそ、筆者の貧しい想像力はかき立てられる。
悲しい性といおうか、つまらなくも情けない、困った性格というほかない。
で、「この前」とか「今回」とかいうのであるから、この人はリピーターであろう。
前に何かをお願いした訳だが、それは、ある状態がずっと続いてくれるようにという、どうもそんな願い事だったらしい。
その時から今回まで、その願い事は一応かなえられて来ているようである。
厳島神社も、話の判る、結構いいヤツなのだ。
「とてもありがたいのです」と、この人もおおいに感謝している。
ただ、この願文からは「でも、これから先はどうなんだろう」という、ちょっと不安げなようすも、読み取れて、この人の真剣さ、真面目さを想像させる訳である。
厳島神社は、こういう真面目な人物をヤキモキさせたり不安にさせたりすべきでないと思うが、いかがであろう。
まあ、ここまでは、他人事ながら何だか良かったなあとホッとさせられて、ご同慶の至りなのだが、後半が判らない。
前半とは明らかに別の話である。
××には、ちょっと珍しい、人の苗字が入っていて、その人に会えなくてすまぬと、この人は謝っている。
会わねばならない義務でもあったようだ。
約束の時刻に大幅に遅れたか、悪いと思いつつスッポかしたか。
で、会えなかった代わりに手紙を書くという。
その手紙の内容は、いったいどのようなものになるのであろう。
会えなかった詫びか、会わねばならなかった本来の用件か。
失礼を承知で、思い切り妄想を逞しくしてみると、たとえばこの人は現在保護観察中の身の上で、会わねばならなかった××さんとは保護司の人、といった関係も考えられるがどうであろう。
これまでのところ、かなえられて来ている状態とは、つまり、この人が再び悪いことに手を染めずにすんでいる状態、ということになるが。
やっぱり、ものすごく失礼な妄想か。
反省しよう。
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