願かけ絵馬の考現学
~第百十五講~

願かけ絵馬の考現学

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絵馬のアイコン写真

[祈願]

志望の確定と
進路実現

[住所]広島市○○○区 
○○○○丁目○○○○ 
[氏名]広島県立○○○ 
高等学校2-3 
[防府市 防府天満宮]

防府天満宮は、何でも「日本最初の天満宮」で、北野(京都市)、太宰府(太宰府市)と並ぶ「日本三天神」のひとつなのだそうだ。

で、この願かけ絵馬であるが、「祈願」「住所」「氏名」は、もともと絵馬に印刷されている。
そこにそれぞれ詳細な住所と、実在の高等学校名、そしておそらくは学年とクラス名が記載されていた。
つまり、個人ではなく、ある高校のあるクラスの全員もしくは代表、あるいはそれに準じる立場の人が奉納した訳であろう。

いくら隣県とは言え広島県広島市から山口県防府市まで、クラス全員でお参りにきたとは考えられないから、代表の人なのだろうが、この願文からすると生徒とは思えない。
要するに、この絵馬の願主は2-3のクラス担任のセンセイである。
可愛い教え子たちの大学進学の進路希望が決まって、全員がその希望通りに進学してくれるようにという願い、親心だと、最初はそう読んだのであるが…。

そうとばかりも言い切れないという気がしてきた。
このセンセイは、ひょっとして生徒らの進路指導を面倒くさがっているのではないか?と感じるのは、筆者の性格が歪んでいるせいだろうか。
担任するクラスの生徒らが、全員希望通りの進学をしてほしい、させてやりたいと願うなら、素直にそう書けば良いのである。
たとえば、「祈願 クラス全員の志望通りの進学を」とか何とか。

しかし、このセンセイは、「志望の確定と」という前置きをつける。
あれこれ迷って受験先大学を絞り込めない生徒が少なくないのかも知れない。
受験先が決まらなければ、合格祈願も何もない、だから、まず志望校の確定を願っているのだ
――と、そう言われればそれまでだが、どうもそういう感じがしない。勝手な憶測なのだが。

自らの実力(偏差値とかいうやつか)も認識しないで、ベテラン教員である自分の助言を受け入れず、いつまでも無理な志望先にこだわる生徒もしくは親(おそらくこちらだ)に辟易して、「いい加減に決めてくれ」という思いが込められているような気がしてならないのであるが。

このセンセイが、この絵馬を学問の神様の本山とも言える防府天満宮に奉納するために、わざわざ広島から山口までやって来たのか、遊びに来たついでかは不明であるが、いずれにせよ、ご苦労様なことではある。

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