願かけ絵馬の考現学
~第九十六講~

願かけ絵馬の考現学

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絵馬のアイコン写真

[健やか祈願]

あのんが
健康で幸せに
元気にすくすく
育ちますように。

[なまえ]吉住 あのん 
[ところ]津市高茶屋○○○○ 
平成24年6月26日参拝 
[津市 三重県護国神社]

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[健やか祈願]

あのんが
明るく元気に
育ちますように。

[なまえ]池端 あのん 
[ところ]一身田○○○ 
平成24年9月29日参拝 
[津市 三重県護国神社]

単独では、何ら考察対象になりそうもない願文である。誰かの目に止まることさえないだろう。
また、この2枚の小絵馬を見つけたとしても、うっかりしていると、同じ願主が小絵馬2枚を使って同じような願いをかけた、というふうに見過ごしてしまうだろう。
しかし、気が付いてみると、こんなに不可解な願文はない。

「あのん」というのは、毎度言うように筆者が適宜、原文の名前などを変えてあるのだが、原文に記載されていた名前も平仮名表記のちょっと珍しい名である。
決して、どこにでもある、というような類の名ではない。
そして、「あのん」の上に位置する姓のほうも原文とは変えてあるが、確かに2つの願文で異なる姓になっているのである。
さらに、記載された「ところ」、つまり住所も同じ津市内ではあるが、別の場所だ。
2つの小絵馬の奉納時期が3カ月ほどずれている、というのも微妙な問題を孕んでいそうである。
ちなみに、「健やか祈願」や「なまえ」「ところ」というのは最初から、この小絵馬に印刷されている文字だから無視して差し支えない。

さて、この2枚の小絵馬の摩訶不思議さは2点ある。
1点は、願主である「吉住あのん」さん、「池端あのん」さんと、それぞれの願いの対象である「あのん」さんは、同じ人物なのか?ということだ。
まあ、自分のことを自分の名前で呼ぶ幼児化した人、というか、幼児性が抜けない人というのはいるものであるから、そうだとしてもおかしくはない。

だとすれば、「吉住あのん」なる人物がほんとうに自分のことを願掛けした後、結婚して「池端あのん」と姓が変わり、そこでもう一度同じような願掛けをしたということになる。
しかし、結婚しようというような年齢の人が「元気にすくすく」などというのは、おかし過ぎる。
もっと現実的解釈をすれば、願主は実はこの「あのん」さんの親であって、その親が自分たちの名前を書くべきところに、願いの対象である本人の名を書いてしまったというのが、妥当かも知れない。

しかし、そうだとすると2点目の不思議、つまり吉住、池端というふたりの願主の姓の違いは何かという問題が出てくる。
「あのん」などという、かなり珍しいファーストネームを持ち、異なるファミリーに所属する人物が、同じ津市内に2人存在するというようなことがあり得るだろうか?
姓のほうも決して、平凡きわまりない、というような種類の姓ではないのである。
そのような特異なケースがあったとして、その2つのファミリーだか、ご当人だかが、同じ神社に、そう遠くない同じような時期に願掛けに来るというようなことが、あるのだろうか?

判らない。
頭が痛くなる。
と、懸命に考えていて、ひとつ可能性のありそうな解釈に気がついた。
今、同じような時期に願掛けに来る、と書いたが、2つの小絵馬の奉納時期には、3カ月あまりのズレがあるのだ。
すると、その3カ月の間に、「あのん」さんの姓が変わるような事態が起きたということになる。

たとえば、生みの親から育ての親への養子縁組がなされた、つまり「あのん」さんが養子に出されたというのは、どうであろうか。
その場合、もちろん、どちらの小絵馬も真の願主は生みの親であって、自分たちの名前を書くべきところに、願いの対象である「あのん」さん本人の名を書いてしまうという、同じ間違いを犯したのである。
いや、そう考えるとこれは決して間違いなどではない。
他家の養子となって姓が変る「あのん」さんのことを思い、だからこそ、その姓が変わったことを明記する意味で、「なまえ」欄にもわざとそう書いたと考えるのが自然である。
養子先があまりにも近いというのが不自然かも知れないが、たとえば母親の姉などで結婚で別姓になっている人のところに、養子に出したという場合なら、これもあり得る話だろう。

もっと単純な解釈も、あるにはある。
つまり、吉住何某という母親が未婚のまま、あるいは入籍しないまま「あのん」さんを産み、とりあえずその健康や無事成長を願っての小絵馬奉納を、「あのん」さんの名前でしてみた。
その後ほどなく結婚、もしくは入籍して「池端」と姓が変わったので、改めて「あのん」さんの名前も新しい「池端」姓に変えて、もう一度、同じ願掛けをしたというわけである。
こっちの解釈は、少々、味気ない気もするが。

受講生諸氏のご判断はいかがであろうか?

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