願かけ絵馬の考現学
~第八十八講~

願かけ絵馬の考現学

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[ねがい]

教信寺

正法興隆祈願

大分市○○ 
松本永峯 
[久留米市 水天宮]

しょうぼうこうりゅう、と読むらしい。
しょうほうと、濁らない読み方もあるそうだが、ともかく正法というのは、仏教のほうの言葉で正しい法=教えを意味するんだそうである。
日本史の時間に習った、道元の「正法眼蔵」の正法である。浄法とか妙法とか、言うこともあるらしい。
反対の意味を持つ言葉は、邪法。
何やら、それだけでもう戦闘ムードいっぱいであるが、その件は置いておこう。

そして、興隆というのは読んで字のごとく、物事が興り、隆盛すなわち勢いが盛んになること。
つまり、正法興隆とは仏の教えが興って盛んになること、もしくは、それを念じる言葉ということになる、らしい。
ストレートに、仏法興隆なんて言ったりもする、らしい。

ちょっと調べてみると、たとえば道元さんの曹洞宗でも、日蓮正宗などでもこの言葉を使っているから、どこか特定の宗派だけの用語という訳でもないようだ。
そして、教信寺というお寺の名前があり、また、願主は名前からしてどうも僧侶らしい。
つまり、この絵馬は、松本永峯なる坊さんが、おそらく自分の寺である教信寺の繁栄、発展を願って奉納したということになる。
おそらく、この解釈は間違っていないだろう。
自然な願いと言えば、そうである。

しかし、だ。
何でそれを水天宮にお願いする?
水天宮といえば神様である。そして、その守備範囲は主として、安産・子授け、あとは水難除けくらいであろう。
この松本永峯さんのお寺のご宗旨がどんなものか知らないが、今や、日本の仏教やお寺の多くは、信者や参拝者のいろんなお願いを受け付けるシステムになっているはずだ。
にも関わらず、願いを受け付ける側の、仏教側・お寺側の人が、何で神様である水天宮に、しかも筋違いなお願いをするのであろうか。

まして、正法という言葉には、自分たちの釈迦の教えこそ正しいという意味合い、他のは邪宗だという意味合いが込められている…はずだ、たぶん。
もちろん、日本には神仏習合、神仏混淆の歴史があって、庶民などは今でも葬式は仏式、初詣は神社に行くという人が普通であるが、坊さんがそれをするのは変ではないか、松本永峯さん。
少なくとも、節操を欠くと言われても仕方なかろうと思うが、どうであろう。それとも今のお寺の坊さん方というのは、そういうものなのだろうか?

めでたい八十八講めにしては、何だか情けない考察になってしまったのである。

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紛らわしいが、大きいのが
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