願かけ絵馬の考現学
~第七十四講~

願かけ絵馬の考現学

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大好きな平田晶子

赤ちゃん産んでくれますよう。

日向市 K.M 
[延岡市 今山八幡宮]

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娘 千恵子が神縁のある
素晴らしい半身に巡り合い
結納結婚とスムーズに事が
運び、相手様にも娘にも
幸せがおとづれる様に!!

M.N 
[長崎市 諏訪神社]

日向市のKMクンのは、要するに、好きな女性に自分の子を産んでもらいたいという、多少露骨な言い回しのラブレターの一種であろう。
これに対して、長崎の諏訪神社の神様に願掛けしたMNさんのは、娘の幸福を願う親心である。「半身」というのは、言うまでもなく英語のBETTER HALFからの連想と言うか、独自の意訳であるが、まあ、意味は判る。
どちらも、ありがちな願い事である。

判らないのは、平田晶子サンとか、娘の千恵子サンとか、願い事の対象となる人の名前を、そのまま書いておいて(もちろん、筆者の判断で似たような仮名には変えてある)、自分の名前をイニシアルで済ませるという姿勢である。

KMクンの場合、相手の実名を挙げて、その人に自分の子どもを生ませたいなどと、あからさまなことを書いておきながら、自分の名前を伏せるというのは、卑怯千万な振る舞いと言わねばなるまい。
それとも、あからさまなことを書いてしまったので、恥ずかしくて、自分の名前を出しそびれたのか。
どっちにしても、誉められた態度ではない。

諏訪神社の神様にお願いしているMNさんは、まあ、文面からしてオトーサンであろうが、これも自分の姓名をイニシアルにする理由が不明である。
千恵子(同上)というファーストネームだけとは言え、娘の名前をさらしておいて、自分の名前を伏せるとは、親の態度として、どうなのであろうか。
この文面からは、たとえば今は親として名乗れない事情がある、といった切実感も読み取れないのである。

それとも、延岡にしろ長崎にしろ九州方面では、こうした願かけの場合、対象となる人の名前は実名を明記して、願主の名前は伏せておくべしという、厳しい掟でもあるのであろうか。今山八幡宮と諏訪神社の神様は、そういう営業方針なのであろうか。

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紛らわしいが、大きいのが
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