願かけ絵馬の考現学
~第三十九講~

願かけ絵馬の考現学

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絵馬のアイコン写真

サム君が幸せで

やすらかな眠りに

つけますように。

サムのママ 
[新潟市 白山神社]

もちろん、サム君は人間ではない。 おそらく、犬、それもチワワか何か、小さな愛玩犬であろう。
病気になったか、寿命だったか、ともかく可愛がったサム君が死んだために、サムのママは、どうか安らかに眠れと願う訳である。

が、何だか妙な感じが拭えない。
理由のひとつは「幸せで」という言葉であろう。
気持ちはわからなくはないが、死んでしまっては、幸せも何もないはずである。
それを「幸せで」とやるから、生きているものに対する願いのような印象になってしまうのだ。

もうひとつは、「つけますように」という、一種の未来形の物言いである。
これも、サムがまだ生きているような印象を漂わせてしまう。
結果、サムは寿命だか病気だかで、もう長くない状況にあって、掛かり付けの獣医さんから

「お気の毒ですが、もう駄目でしょうね」

と言われたが、せめて苦しむことなく安らかに逝ってほしいという願いのように、読めてしまうのである。

無論、そんなはずはない。
こういう犬の愛玩者たる女性は、そういう事態に遭遇すれば、それこそオロオロするばかりで、落ち着いて死後のことを願うようなことはできないはずだ。偏見だが。
あるいは、獣医から、

「注射で、苦しまずに逝かせてあげましょう」

と安楽死を提案され、その決心をつけるために絵馬の奉納に来たのであろうか。
ここまで考えてから、気が付いた。
願かけ絵馬というのは、基本的に現世利益の世界なのである。

厄除けにせよ、金運上昇にせよ、悪縁切りにせよ、すべてこの世でのことを願うのである。
そういう願かけ絵馬で、いかに愛犬とは言え、死後の安楽を願うから話がおかしくなる。
いや、死に方自体を問題にするのだから、これも現世利益か?

それとも、このサム君なる犬(もし人間だったらどうしようか)、まったく命に別状はないものの、不眠症でも患っているのだろうか?

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紛らわしいが、大きいのが
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